01.ナビとオペレーター


 昨日まで、普通にナビとオペレータの関係だった。
 昨日まで、他よりはずっと仲の良い相棒だと思っていた。
 昨日まではあたりまえだったことが、崩れ去って。




「・・・なんて顔して、話せば良いんだよ〜」

 ぶくぶくとお湯に沈めた唇から泡を吹き出しながら、呟いた声は誰に聞かせるものでも無く独り言だ。
 部屋で現在充電中のPETは今彼の手元には無く、現在一人となった熱斗は、頭の中を巡っている困難な問題に、唸りながらバシャバシャと湯船をかき混ぜた。
 あまり長湯をしてものぼせてしまうので、いつまでもこうしているわけにはいかない。そう理解してはいても、部屋に戻ることも躊躇われてついまた肩までお湯の中へと戻ってしまう。
 そんな行動を先ほどから何度も繰り返していた。

「急に、そんなこと、言われたって」

 ひょんなことから犯罪組織WWWの事件に巻き込まれ、それと戦っているうちに世界を救うまがいのところまで行ってしまった大冒険は、まだ思い出になるわけも無くつい昨日起こった出来事である。
 戦いに傷ついたロックマンも、また心身共に疲労していた熱斗自身も、帰るなり夕飯も食べずにベッドへ倒れこんでしまったのだから、昨日とはいえども彼らにとってはつい先ほどの事にも感じられた。
 その戦いの中で無二のパートナーのロックマンは一度デリートの危機に晒され、そして彼を助けるためにと父から明かされた真実は驚くべきもので・・・。

「にいさん」

 口に滑らせてみても、違和感がまだ大きい。
 飲み込めない苦薬のように舌先に残った発音に、眉を寄せた。

「彩斗、兄さん」

 自分に兄が居るなんて、知らなかった。
 ずっと一人っ子として育てられてきた熱斗に、突然兄が居ましたと言われたところで兄弟がどのようなものなのかわからない。だから顔を合わせたロックマン・・・彩斗に、なんと話しかければ良いのか想像もつかないのだ。

「はぁー・・・どうしよう」

 嫌なわけではない。
 いや、むしろロックマンが兄であると言われて驚きはしたが、その後湧いた感情は嫌悪などではなくむしろ好意と呼んで良いだろう。
 それまでも兄弟のように一緒に過ごしてきた相手なのだから、それも自然なことなのかも知れなかったけれど。
 父が言う科学的な実証や言葉ではなく熱斗はそれを肌で感じ取っている。
 同時に襲ってきたのが、大きな罪悪感と後悔。
 全てを受け入れると言って真実を聞いたものの、その事実は予想していたよりも衝撃の大きなものだった。
 知らなかったということは時に酷い罪を犯すことにもなる。

 事実を知っていて、それを隠し自分に接してきた兄は果たしてどのような感情で今までを過ごしてきたのか・・・。

 熱斗には想像もつかなかったが、考えていると胸の奥が熱くなるようで、切ない気分にぎゅっと目を瞑った。

「・・・そろそろあがろ」

 目を開けて。
 湯気で視界が真っ白に曇っているのを見上げて熱斗はぽつりと呟いた。
 いい加減このまま悩み続けても湯あたりしてしまうだけだからと、自分自身に言い訳をして風呂場を出て、手早く服を身につけると2階へと向かう。
 階段を上ってすぐの熱斗の部屋へはすぐについてしまう距離なので、まだ湯上りの熱が冷めないまま部屋のドアを潜った。

「熱斗君!いつまでお風呂に入ってたの、遅いからもしかしてお風呂で寝ちゃったかと思ったじゃない」

 部屋へ入るとほぼ同時。一息で吐き出されたらしい言葉の勢いに、返す言葉も用意してなかった熱斗は声に詰まってしまう。
 いつものように返事が無いことを不思議に思ったらしい相手は、PETの小さな窓からその目的の人物を観察し、そして目を丸くした。

「うわぁっ、茹蛸みたいに真っ赤になってるよ。やっぱり長湯しすぎだってば熱斗君!もう、仕方ないなぁ・・・」

 本当に寝てたんじゃないだろうね、まったく・・・

 そのまま続いて小言がどこまでも繋がっていきそうな雰囲気に、我に返った熱斗は慌てて反論する。
 このままでは風呂場で居眠りをしていたことで確定されかねないからだ。

「そんなわけあるはずないだろ!」

「・・・そうなの?」

 疑わしげな視線は、まだ半分くらいは疑っているのだろう。
 それをもう一度否定してから、ちょっと考え事してたら遅くなっただけだ、と説明をした。

「考え事?熱斗君が、めずらしい」

「悪かったなぁ!」

 ああ、まただ。
 反射的に言葉が飛び出してしまう。
 もうこれは身に染み付いた習慣というものなのだろうか。話さなくてはならないことが、もっと他にあるはずなのに、先ほどから出てくるのはどれもくだらない掛け合いの様なものばかりで。
 ふと考えに落ち込む瞬間、表情にその暗い色が出ていたのか、ロックマンはそれを見咎めるとからかう口調を一変させて「どうしたの?」と首をかしげた。
 いつもの通りの優しい声。
 何故か泣きたくなってきてしまう。

「・・・なんでも、ない」

「なんでもない顔じゃない」

 誤魔化されてもくれない。
 普段は口煩く説教ばかりと感じることもあるけれど、結局は熱斗のことを一番に心配してくれているからこその、優しさなのだ。そして声を張り上げて発破をかければ良い時と、優しく撫でる様に宥めて欲しい時の絶妙の匙加減を彼は知っている。
 熱斗は無言のまま机まで歩み寄り、両手でPETを包むように持ち上げると、甘える様に一度だけ頬を摺り寄せた。

「昨日のこと、考えてた」

「WWWの事件のこと?」

 問いかけられて、けれどそれには首をゆるゆると振って否定する。確かにWWWとの壮絶な戦いの余韻もまだ残っている。正直言えば、まだ寝たり無いくらいに疲れてもいた。
 それはロックマンとて、同じことだろうけど。

「うん、それもあるけど・・・父さんの話とか・・・その」

 言い難そうにしていると先にその続きを口にされてしまった。

「ボクのこと」

「・・・うん」

 今度は誤魔化さずに頷く。
 話したいことはまだ形を成さなくて、頭の中でぐるぐるしているけれど、今の自分たちは話し合わなければ始まらない。そう思ったから。

「オレの兄さんだって聞いて、正直驚いたんだ」

「うん。・・・ごめんね、ずっと黙っていて」

「あっ、そうじゃなくて!・・・そのことは、もういいんだ」

 慌てて顔を上げて、熱斗は謝ろうとするロックマンを押し留めた。
 祐一郎もロックマン・・・彩斗も、熱斗が傷つかないようにと、そのためにずっと胸の内に秘めていてくれた真実だった。
 嘘は人を傷つけるだけではなく、守るためにつくことも出来るのだ。

「オレ、急に兄さんがいるって言われて混乱しちゃっててさ。だってロックマンはロックマンだろ?それが兄さんだって言われてもピンとこないって言うか・・・ああ、何言ってんだろ」

「うん、大丈夫。わかるから」

 戦いの中、心を寄り添わせオペレートした。その感覚がまだ繋がったままなのだろうか。心の奥まで動揺が相手に伝わってるような気がして、熱斗は恥ずかしくなり俯いてしまう。
 それともこれは逆にロックマンから伝染してきた気持ちなのか。
 まだ慣れないフルシンクロの影響で、神経が高ぶっているような気がする。考えがまとまらないのも、もしかしたらそれが一因となっているのかも知れなかった。

「熱斗君、キミは今ボクはボクだって、言ったでしょ?」

「ああ」

「それで良いじゃない」

「えっ?」

 何も変わらないんだよ、とロックマンは言う。
 そんな簡単な言葉で済ませて良いのかと散々悩んだ熱斗は思ったが、力強く言い放ったロックマンの表情には迷いなど微塵も感じられない。
 おそらく彼とて悩まなかったはずは無いのだ。
 けれど熱斗よりもずっと早くに真実を知っていて。
 熱斗よりもずっと長く考える時間があって。
 そして、熱斗より少しだけ、大人だったのかも知れない。

「そうかな・・・」

「そうだよ」

 ずっと傍で見守ってくれて、何をするにも一緒に過ごし、躓いた時にはさりげなく手を差し伸べてくれる。
 全部、ロックマンが熱斗に対してしてくれたことだった。

「きっとね、仮にだけど・・・ボクが生きてて、一緒に育ってたら。今のキミとボクみたいになってたんじゃないかなって思うんだ」

 生きていることに対する羨望ではなく、純粋にそうであっただろう、という予測。何故だか容易にそれを想像することが出来て、熱斗は二人の良く似た子供が学校に行く姿を頭に描いた。

「朝寝坊する君を起こして、おはようって挨拶をして。一緒に学校に行って、ネットバトルをして・・・」

 それはきっと、今と変わらない日々。

「ボクは今のままのキミが好きだよ。だから、今まで通り、何も変える必要なんて無いんだ」

「ロックマン・・・」

 自然と零れるような笑顔が浮かんで、それを見たロックマンはやっぱり嬉しそうに、優しく微笑み返してくれた。
 そして改まるように身体を真っ直ぐに向き合わせ、熱斗の視線を捉まえると、唄うようにその言葉をつむいだ。

「ボクは感謝してる。キミに出会えて、ボクの世界に人間の温かい感情・・・「熱」を教えてくれた」

 その言葉を受け止めて、熱斗もまた、形となった想いを乗せて応える。

「それならば、オレだってお礼を言わなきゃ。オレの日常を楽しく・・・「彩」りを与えてくれたのは、彩斗兄さん・・・ロックマンだ」

 誓いの言葉のような厳かささえ感じられる、たった2人だけの儀式。
 ナビとオペレータとして、気の合う親友として。
 加えてこれからは、かけがえの無い家族として。


 ナビとしてプログラムに従うだけではなく、感情を共有して、熱くなるくらいの想いをくれた熱斗と。
 父親が家に居ない寂しさ、母が出かけていないときの静かな家。そんな灰色の空間に色彩をくれたもう一人の家族、ロックマン。


 お互いがかけがえの無いものを互いに与えてくれた。
 だからこそここに答えはあるのだろう。

「これからもよろしくな、ロックマン」

「こちらこそ、ヨロシクね熱斗君」

 つい、と合わせた手と指先は、触れ合うこと無く硬く冷たいモニタの表面をなぞるだけだったけれど。
 心は強く傍に、いつでも繋いでいるから。









 ナビとオペレータ。
 その関係はこれからもずっと続く、2人を結ぶ絆の名称。




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コメント▽
熱斗と彩斗の名前の意味、そのあたりのフレーズが使いたくて書いたお話でした。実は一番最初に考えたエグゼネタだったりします。ちょうどエグゼ1のエンディング直後くらいのあたりの設定で。
エグゼ2になるとまた普通に「熱斗くん」「ロックマン」に戻っちゃってるんですけど、感情が高ぶるとぽろっと出ちゃう「彩斗兄さん」って呼び方にまた萌え萌えしてます〜v
もっと呼んでほしいけど、たまにしか呼ばないからまた良いのよね。うう、じらされてます(笑)


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